親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その二
親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その二
治る見込みのない病
「アルツハイマー」というとどんなイメージを持ちますか。医師からその病名を告げられ、正直ショックを受けましたが、実はほとんどその病気のことをしりませんでした。医師の説明を聞き、脳が萎縮すること、原因や治療法などまだ不明なところばかりで、進行を遅らせることはできても完治する見込みのないことを知りました。特効薬の開発が急がれているが、十数年前母がその診断を受けた時と同様に、未だ治療に決定的な薬は出ていないようです。
傍目では「普通の人」
医師と相談の結果、しばらくは進行を遅らせる薬を服用し通院で様子を見ることになりました。家族以外の人からみれば当時の母はおそらく「普通」に見えたでしょう。ちぐはぐさはあったにしても一応の受け答えはでき、自転車にも乗り、支払うお金を出すのにかなり時間がかかったようでしたが買い物も一応でき、普段は元気そうに見えました。初期の場合、物忘れがちょっと多くなった、年をとって頑固になったなど、諸症状を加齢で片付けられてしまう場合が多いようです。「年をとれば誰でもそうさ」と私もあまり気にしていませんでした。本当に苦しんでいる人は近くで長く一緒にいる家族です。私は仕事にかまけ家庭のことは妻に任せきり、そのせいで妻ひとりに苦労を背負わせてしまいました。
なかなか理解してもらえない家族の辛さ
そのころ妻は仕事が終わって家に帰りたくなかったとある日、言いました。母が介護病棟に入院して何年もたってポツリと打ち明けました。当時子どもはまだ小学校の低学年で母親としては少しでも早く帰りたかったと思います。母も「正常な状態」ではなかったので情緒も不安定で、感情の浮き沈みが激しく、時に極めて感情的になり、とんでもない言葉を妻に吐いていたようでした。おそらくいろいろなことができなくなる自分の変化を気付きはじめ、その苛立ちからまわりにあたっていたのかもしれません。妻はそのころのことを多く語ろうとしません。それほど妻の負った「心の傷」は深いのだと思います。感情的な対立が妻の傷を深くし、母の病状をさらに悪化させたようです。私はそんなことも分かりませんでした。
早く専門家の診察を受けていれば
今更ですがもっと早く妻の言葉に耳を傾け、早く専門家に診てもらうべきだったと思います。本人は薬によって少しでも進行を遅らせる可能性があり、家族にとっても専門家に相談ができ、介護に疲れた心のケアにもつながり、母への適切な対応の仕方も学べます。母がアルツハイマーという診断をされたことで、私にとっては腹をくくる機会になりました。母のことで一番悩み考えなければいけないのは自分であり、今までの妻の苦労を軽くできるのも自分であることにやっと気付いたのでした。妻も医師の応援が大きな支えになりました。