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親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その三

親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その三

やるせない気持ち

母がアルツハイマーの診察を受け、通院での治療が始まりました。しかし治療と言っても特効薬はなく進行を遅らせる可能性のある薬を服用するくらいです。通院の際、本人は進行状況の確認の検査を受け、主は家族への問診、様々な対処法のアドバイスや心のケアにあてられます。病院の先生から話を聞き自分なりに学んだのは、母の異常な行動を嘆かず、怒らず、ただありのままを受け入れることでした。しかし悟りに達したお坊さんのような人でない限りできることではありません。身内であれば尚更です。でもそこにいる母は現実です。正直、手を出したくなったことも何度もありました。その度に「母は病気だから」と自分に言い聞かせました。

「わたしゃボケてない」

月に一度の通院でしたがその時々で母の態度は違います。本人には病名を伝えていません。病院の先生とも相談し、言っても理解できるないかもしれないし、まず受け入れないだろうと判断し、余計な波風は立てたくなかったのでしませんでした。病院には「ちょっと内臓におかしなところがあるのでその検査へ」と言って連れて行きました。「それは嘘をつくことではないから」と先生も言ってくださいました。出かける際、嫌がることもありましたが、騙しだまし車に乗せました。病院に行く途中「わたしゃボケてないでね」と言い、薄々病院にいく目的を母はわかっていたようも思います。仕事にかまけほとんど話もしてこなかった息子と一緒に出かけられることが嬉しかったのかもしれません。車中、母の生まれ育った地区の近くを通るのですが、そこでは決まって「空襲でここまで夜中に逃げてきた」など昔話を繰り返します。幼い頃のことは母の脳裡に鮮明に残っているようでした。

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母の生い立ちに思いを馳せるように

私が子どもの頃、母からよく自身の戦中戦後の苦労話を聞きました。戦渦が最も激しい時に学生時代を過ごし、戦後の厳しい時に青春期を迎えた母でした。七人兄弟の二番めで長女でしたが他に女性はおらず紅一点、七福神の弁財天と自ら称しておりました。まだまだ幼い弟たちの面倒をよくみていたそうです。何気なく聞いてあまり気にもしていなかったことでしたが母がアルツハイマーの診断を受けたころから母の生い立ち話を思い出すようになりました。

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