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親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その四

親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その四

妻から「死にたい」

アルツハイマーは現在ではまだ回復する見込みのないと言われる病気です。母が診断を受け、通院をはじめて数年がたった頃、どんどん病状が進行して来ました。家の中のトイレの場所を忘れたり、水道を流しっぱなしにしたり、意味もなく銀行口座から大金を引き出しどこに仕舞ったかわからなくなったりなどなど、やがては必要がない高額のセールスにお金を払ってしまう事件もおこるようになりました。いつ火事などの事故につながってもおかしくないような状況でした。妻は精神的にもますます追い込まれ「死にたい」と口にする様にもなりました。

入院という選択肢

それでも日常の会話には短時間では異常な感じは受けないので、近所の人が来ても普通に話しをしていました。しかし家族は限界にきていました。そこでそのことを率直に病院で相談すると、介護病棟への入院という選択肢もあることを言われました。私にとっては予想外でした。振り返れば当時の私がまだ事態の認識が甘ったと思うのですが、その時は「そこまではまだ早い」という思いがありました。内臓的に疾患があるわけではなく、足腰が悪いわけでもない、排泄、摂食、入浴などは一応自立している、今のところ徘徊もしない、物忘れは酷いものの一定、受け応えはできるなどの状況から、入院はまだ先ではないかと考えていました。また親の面倒をできる限り子どもが看なければという当時の自分なりの価値観や倫理観、さらには世間体など様々なものが交錯していました。

仕事内容

自宅でしてきた看取り

40年以上も前のこと、私の祖母は自宅で亡くなりました。病死でした。転倒で骨折して以来、寝たきりでしたが、骨折の治療以外は入院もせず、自宅で祖父、両親が排泄、食事など皆で協力して世話をしていました。小学生だった私も時々ですが食事の介助をしました。母は働いてはいましたが介護を中心になってしてきました。私はそんな母の背中を見て育ってきました。当時、家庭で終末を迎えることは稀ではなく、自宅での看取りもよくにあったように記憶しています。私にとって母の入院は「寝たきりでもないしまだ動ける、内臓疾患もないのに入院するの?」という心の片隅には抵抗感のようなものがありました。
まだまだ私自身がアルツハイマーという病気の認識が甘かったようです。

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