親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その九
親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その九
「私はどっこも悪くない。いつ出れるだん」
母が入院し洗濯物の交換などもあり最低でも週1回は見舞に行きます。元気なころは毎回必ず「私はどっこも悪くないで。いつ出れるだん?先生に頼んどくれん」と懇願され「すぐに出れるで。もう少し検査があるみたいだで」という会話から始まります。そして帰り際にも「頼んでよ」と念押しされます。母が入院してしばらくの間、病室を後にしエレベーターに乗る時には『姥捨山』という言葉が私の脳裏を幾度も過ぎりました。
『姥捨山』という間違った感覚
その言葉は決して適切ではなく明らかに間違っていたと思います。しかし当時の私には「罪悪感」「後ろめたさ」といった意識を払拭できませんでした。頭では選択は間違っていないとわかっていても感情的に割り切れないものがあったのは本当です。
「普通」に話ができ、どこも痛がるわけでなく、足腰も元気で自転車も乗れる、食欲もあり自分で食べられ一応身の回りのことはできるなど、見た目は正常、しかしその行動は明らかにおかしい、だが本人はそれを認めない、けれどもこのままでは大きな事件、事故も起こりかねないなどなどいろいろ悩みました。
自他に及ぼす危険を回避するには
脳の断面の写真でも萎縮は進みアルツハイマーという病気が進行していることは紛れもない事実です。要介護5の認定を受け、ヘルパーさんの助けも受けました。しかし身体的には元気なため、その行動によって自他に及ぼす「危険」への心配は増していきます。その「危険」を最も防ぐことができる方策をとるという点で間違っていなかったと思います。今振り返ると『姥捨山』という感覚は、様々な影響を考慮しない極めて自分本位のものでした。
今、母にできること
最近、車の運転中、信号待ちで見た看板に「いつまでも家族と一緒の暮らし」というコピーがありました。訪問介護の宣伝でした。もし母が認知症でない状態で身の回りのことができなくなったら自分はどうしただろうと考えました。家に帰っても自問自答していました。答えは見つかりません。私には何が最善なのかわかりません。今、生きている母にできることが何か、母や家族が苦しまず、楽しく暮らせることは何かを考え、できることをするだけだと思いました。