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【介護】私の場合 (平成25年春号掲載)

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■母の介護〜次女の場合〜
母は9年前に父が亡くなってからメッキリ弱り、3回目の脳梗塞を発症して入院したのをキッカケにケアハウスに入ることになりました。
それまで母を看ていたのは近隣に住む次女で(私は三女)、母のわがままな性格と長年に渡る介護生活(同居ではないが、大変だった)でギブアップ状態。
しかも姉にはまだ手の掛かる4人の子供がいたのです。

次女の介護生活はとてもきめ細やかで、車で30分かけて毎食届けるのはもちろんのこと、洗濯、掃除、ゴミ出し全て完璧にこなし、週3回の通院を付き添って、深夜に母からのヘルプ電話がかかれば国道を突っ走るといった具合で、もう母は次女に甘えっぱなし。
わがままし放題で、隠れて酒は飲むわタバコは吸うわ(糖尿病でインシュリン打ってるのに)…。
病院から勝手にタクシー呼んでデパートの北海道展に行っちゃうし(脳梗塞で半身不自由、ろれつもいまいちまわってない。しかも、デパートに行く前に美容院に行ってパーマかけて行った)
なので次女は精神的にギリギリで、私や長女に電話をかけては愚痴っていた。
で、ケアハウスに入るにあたり長女が一念発起。自分の住む町へ母を連れて行くことに。
長女は300km離れたとある県庁所在地に嫁いでいたのだが、子供が独立したこともあって、母の介護に打って出た。
次女はもちろん小躍りで喜んだ(私もほっとした)。

■母の介護〜長女の場合〜何があっても自己責任
長女の性格は次女とは正反対。自分のルールに従って、できないことはやらない主義。
なんに関しても楽しむことが第一で、相手に関しては我関せずの放任主義。決して無責任じゃないけれど、必要以上は頑張らない人なのです。
よって母の飲酒、喫煙は解禁になりました。入居したケアハウスは病院ではないので、ほかの入居者に迷惑をかけなければ黙認、というタイプのところ。
糖尿病、高血圧、脳梗塞の後遺症に骨折、消化器の大病をして危篤になったこともある「病気のデパート」と呼ばれた母にとっていいわけがありません。次女と私は内心ハラハラして見守りました。
入居直後は悪化の傾向にあった母の病状も日が経つにつれ安定し、新しい生活になれたころその年のお正月がやってきました。
施設のほかの入居者のほとんどが家族に連れられ短期帰宅の途へ。ところが長女は母を自宅に連れ帰らなかったのです。
このことを知った次女が激怒。
「母があまりにもかわいそう。自分だったら考えられない。」
と早速長女に怒りの電話を。
長女曰く「正月くらい家族だけでゆっくりしたい。」と。
次女「1日でも半日でもいいから、出してあげたらいいじゃないの。
ほかには入居者の人、誰もいないんでしょ!職員さんだって、母だけのために出勤している人もいるかも。」
長女「施設にはちゃんと料金払ってるし。」
次女「そういうことじゃなくて。」
長女「じゃあ、あなたがあなたの家に連れて帰ってやったら?お正月。」
この間、次女は激昂、長女は終始冷静。

■介護の捉え方ですれ違う姉妹
このことがあってから、2人の仲は微妙になり、私がいつも中に入るようになりました。
次女は電話でしきりに母を心配し、「おねえちゃん(長女)が母を殺しちゃう。」
「きっと面倒みたくないから、早く逝っちゃうようにお酒のませてるんだ。」
とまで言うようになりました。
私は年1回は家族で母のお見舞いにいっていましたが(私の嫁ぎ先は1100km離れています)、母の様子も変わらないし、長女も楽しそうで、2人の間にはいつも笑顔がありました。
「元気そうだったよ。糖尿の数値も変わらないって。」と報告すると、
「本当?」
と訝しげに言う次女。この頃次女は、長女に会わないように、隠れるように母のお見舞いに行くようになっていました。

しばらくしてまたしても次女が興奮して電話をかけてきました。長女が週に何度も母を外食に連れ出しているのが分かったというのです。
「てんぷらやうなぎ、ステーキなんて高脂肪・高カロリーのものを食べさせてるのよ。なんのために糖尿病食をお願いしてるんだか分からないわ!」
そのくらいは長女ならやるだろうとは思いましたが、確認のため電話。
「うん、お母さんがおいしいもの食べたいって言うし、私も食べたいし。最近は食欲モリモリよ〜。
でもあんまり高額だと贅沢だから、フードコートでね。お母さんペッパーランチにはまってる。」
と、ケラケラ笑いながら話す長女。
母の見舞いに行くたびに、そこでミニパーティーが開かれ、孫や私たちに囲まれて美味しそうにビールを飲む母を見て、複雑な気持ちになったことを思い出しました。

■好きなことができないんなら死んだほうがいい
食後の一服を美味しそうに嗜む母に、
「お酒は少しはいいけど、タバコはやめない?ぜんそく始まっちゃったんでしょ?」
と言うと、
「これは私の残された楽しみ。好きなことができないんなら死んだほうがいい。」
と返す母。
戦後の激動期を生き抜いて私たちを育ててくれた母。病弱だった父のかわりに一家の経済を背負い、借金を返しながら私たちを大学まで出してくれた母。
姑との確執も長く続いて、母が苦労してきた姿を私たちはそばで見ながら大きくなったのです。
母には少しでも長生きして欲しい。本人だってそう思っているはず。来年の私の二男の入学にランドセルを贈る話を楽しそうにしているんですから。
でも一方で、自分が母の立場だったら、と考えるとなにが正しいのか分からなくなってきます。
①楽しみを捨てて、ただ長生きす るために、医者にいわれたとお り自制して生きる。
②それは果たして人が余生を過ご すにふさわしい姿なのか。最後 くらい好きなことを存分に楽し んでパーっとエンディングを  飾ったっていいじゃない。
じゃあ私たちが長生きして欲しいと望むのは単なるエゴなの?矛盾する二つの考えが交錯します。

■家族集合は気の重いイベント
ある時、お墓の修理の件で皆で集まって話し合うことになりました。私が母の見舞いに行く予定に合わせて、母も交えて集まることになったのです。
これはかなり気の重いイベントでした。三者(長女・次女・私)の三つ巴です。できるだけことを荒げないように、なにごともなく丸く収まりますようにと願っていたのですが、やはりそうはなりませんでした。
食事をしながらでしたので、酒豪一家の私たちはやはりビールで乾杯、から始まり、その後アルコールの作用で本音むきだしトークになったのです。話題は当然長女の母の介護に対する姿勢です。
長女と次女のバトルは時間を追ってヒートアップ。はじめは仲裁に入っていた私でしたが、もう収拾がつかないと感じて自分と母の安全だけは確保しようと部屋の隅に避難しました。
その時、めったにどなったりしない長女がこう叫んだのです。
「どんな理由があるにしろ、手伝いもできない、お金も出さない人が口を出す資格はない。私に任せたのだったら、わたしのやり方に口をだすな。」
「外野でギャーギャーいう人が一番やっかいだ。そういう人の言葉がことを複雑にする。」
「そういう人は自分で責任をとらない。文句があるなら今すぐおかあさんを連れて帰れ。」
自分の妹を外野扱いする長女も長女ですが、おもいっきり男言葉でガツンと言われた次女は途端にパワーダウンし、その場は丸くはなくも収まっていったのでした。

■姉妹で大喧嘩。その後、母は…
時がたち、長女と次女の仲はなんとなく修復し(やはり血縁ということなのでしょうか…)、母も良くもなく悪くもなくで幸いにもまだ存命中。同じケアハウスでお世話になっています。

母と話をしているうちに、あの日の話題になりました。
「お母さんの前で姉妹が大喧嘩して、お母さんよっぽど厭だったでしょう。ごめんね。」
そうすると母はまるで覚えていない風に、
「なんのこと?それよりあんたたちはやたらと年寄りを気の毒がったり、かわいそうがったりするけど、あたしに言わせればあんたたちこそ可哀そう。」
「いい?今の年寄りは戦争でひどい目にもあったけど、それからの日本の復興期、経済的に日本が大発展した時期を生きてきたんだよ。そりゃー面白かった。人 も街もエネルギーで溢れてた。『明日はかならず今日より良くなる』時代だったからね。ついでにバブル景気で、いい思いをさせてもらったし。年金だってきっ ちり貰える。」
「あんたたちは若いのに、今の屍みたいな日本に暮らしてて、かわいそ〜」
さすが昭和ひとケタ生まれ。まるっきり「いじわるばあさん」だわ。
まだまだ母に悩まされる日々は続きそうです。

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