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【連載もの】介護制度について考える 第2回(平成24年8月号掲載)

50母が入院して、1人自宅に残された父をどうするか  愛知大学 地域政策学部 教授 西村正広氏

■父は「1人でやれる」と言うけれど
故郷(札幌)の母が脳梗塞で入院して最初に現れた難問は、1人で自宅に残された父の生活でした。

父 は、母がいなくても日常生活は自分1人でできると言いました。でも、長年身の回りのことを母にやってもらっていた父です。食事や洗濯、掃除などの家事をこ なせるとは思えません。82歳。3年前に心臓の手術を受けて以来、足腰が衰えました。屋内はゆっくり歩いて移動できますが、外では長い距離を歩けません。 難聴や物忘れも増しています。マイペースで庭の手入れをしたり、自分でクルマを運転して買い物や病院へ行ったりすることはできました。母が身の回りを支え ていたから、父は自宅で不自由なく暮らせていました。母が入院して1人になった父がはたして生活していけるのか、大きな心配でした。

 

■まずは、やってみることに
私は、母の入院中だけでも名古屋へ来て同居してはどうかと提案しましたが、父が受け入れるはずもなく「自分でやっていける」の1点張り。まして施設へ一時入所することなど微塵も考えていません。ホームヘルパーやデイサービスすら、「そんなのいらない」と拒否。

どうしよう…、心配は尽きません。そんな時、私の妻の助言が役立ちました。妻から見て、父は1人でも暮らしていけるはずだと言うのです。たとえ掃除や洗濯ができなくても1人でコンビニ弁当でもスーパーの惣菜でも買ってきて食べていけるから大丈夫、とのこと。

う ん、まあ、そうだな。たしかに家の中は乱雑になるかもしれないけれど、お腹が空いたら自分でクルマを動かしてスーパーには行ける。物忘れが激しくなってい るけれどレジでの買い物くらいはできます。近くに住む叔母にも覗いてもらえるし、両どなりも昔からのお付き合いですから、万一のSOSには応じてもらえる でしょう。

どうも私は「最良の」「今までどおりの」暮らしを父にしてもらいたいと思うあまり、自分で高いハードルを課していたようです。とりあえず父の望むとおり自宅での暮らしを続けてもらうことにして、スーパーで買った惣菜を冷蔵庫に詰め込んで名古屋に戻りました。

 

■1週間たって
母は病院、父は危なっかしい1人暮らし。名古屋に戻っても気が休まりません。父に電話をしてようすを聞いても、難聴があるためにトンチンカンな答えが返っ てきてあまり会話になりません。でも「元気だよー」とか「大丈夫だよー」とか張りのある声を聞かせてくれるのがなによりでした。

1週間後、 ふたたび札幌に行きました。実家の中は意外にも小ぎれいに片付いていました。洗濯物も溜まっていません。冷蔵庫を開けると、1週間前に私が入れておいた惣 菜などが賞味期限切れのまま残っています。たぶん1人で静かに暮らしていたから部屋は散らからないし、晩秋で汗もかかないから洗濯物が出ないのでしょう。 ご飯は自分で炊いているし味噌汁も作って、おかずはスーパーで好きなものを買ってきているとのこと。妻の言うとおり、なんとかなっていました。

おっかなびっくりの最初の1週間を経過して、その経験をもとに、私と妻は、今後の両親支援計画を立ててみました。

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西村正広氏略歴:日本福祉大学大学院修了
社会保険中京病院
ソーシャルワーカーなどを経て現職
専門:社会保障

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