【連載もの】介護制度について考える 第17回
クルマを手放す(2) 愛知大学 地域政務学部 教授 西村正広氏
運転はもう限界
要介護一の父は八三歳になっても運転をやめませんでした。年齢相応の身体能力の衰えもあるし、眼も見えにくい。それに認知症のため、出かけた先で道に迷うこともあったようです。でも通いなれた買い物や通院、ちょっとした用事ならクルマはとても便利で手放すことなど考えてもいませんでした。
しかし私は父の運転するクルマに同乗して危険を感じましたし、車庫入れなどで車体にこしらえた無数の傷を見て、もう父の運転は限界だと思いました。
迷いを捨てる
たしかにクルマがないと不便であり両親の生活に支障が出ます。それに父のプライドや自信を奪うことにもなりかねません。
父からクルマを奪って良いものだろうか・・・。私は迷いました。しかし冷静に考え
ると、もはや迷っている場合ではないのです。クルマは走る凶器とも言われます。高齢運転者による交通事故がしばしば報じられています。父がいつ大きな事故を起こしても不思議ではありません。迷いを捨て、とにかく「クルマを手放す」という結論を先に立てて両親と話しました。
父にクルマの怖さや万一事故を起こしたときのことを話して理解を得ようとしても無理でした。認知症のため物事を想像したり論理的に推測したりすることが出来ないのです。残念ですが説得はできないまま、クルマを手放すことにしました。
代替案を考える
ここで大切なのは、クルマを手放せばそれで良しとするのではなく、クルマが無くなったあとの代替案をきちんと考えておくことです。
通院や買い物などに必要な両親の「足」をどう確保するか。それをテーマにして両
親の通院や買い物などの一ヶ月のサイクルを書き出し、その時々の移動手段をどうするか母をまじえて考えました。
週二、三回の通院はタクシーで往復することにしました。帰り道にはスーパーへ寄ってもらって買い物をする。タクシーの費用は私がタクシーチケットで提供することにしました。タクシー代がもったいないと母は言いますが、自家用車の燃料代、保険料、税金、そして事故を起こしたときの計り知れない損失を考えると、タクシー代は納得できる金額なのです。
タクシーと合わせて、近所に住む叔母(母の妹)の存在も重要でした。叔母はクルマを乗りこなすし、何かと両親を気遣ってくれます。叔母の負担にならない程度に買い物などの移動を手伝ってもらうようお願いしました。そして札幌市内に住む私の弟にも両親の足として支援に加わるよう頼みました。弟はフリーライターで市内に居
ないことが多いのですが、出来る範囲で手伝ってもらいます。
廃車にして
こうしてクルマ無きあとの策を講じ、平成二十五年三月、クルマが引き取られていきました。
大阪万博の年に初めてクルマがやって来て四十数年、わが家のマイカー歴にピリオドが打たれたのです。
それからしばらくすると父はクルマを手放したことも忘れるようになってきました。時おりキーを持って車庫まで行きますがクルマはもうありません。そして母に「クルマはどうした?」と聞きます。母はそのつど「廃車にしたよ」と答えます。初めのうち、父は「何で勝手にそんなことをしたんだ」と怒ったり、「ああ、そうだったか」などと不思議な顔をしたりしていたそうですが、やがてクルマのことは忘れて何も言わなくなりました。