WEBワライフ

三河・遠州地域の介護施設検索・介護情報総合サイト「ワライフ」

介護制度について考える 第25回

西村教授0

施設さがし(2)

特別養護老人ホームが足りない

 父の施設さがしが始まりました。介護保険の給付を受けて入所できる施設は三種類。「特別養護老人ホーム(特養)」、「老人保健施設(老健)」、そして「介護療養型医療施設」です。特養は、日常生活全般を支える介護を提供する施設。老健は介護だけでなくリハビリテーションも提供して機能回復を図る施設。療養型医療施設は介護に加えて長期にわたる医療ケアが提供される施設です。
 父は、積極的な機能回復は望めませんし、医療ケアも特に必要が無いので特養への入所が第一の選択肢になりました。ところが特養は全国的に数が足りず、入所を待っている人(待機者)がたくさんいます。札幌近郊も例外ではなく、数年待っても入れるかどうかわからない状況でした。父の施設さがしの条件のひとつは「すぐ入所できる」ことでしたから、特養は選択肢から消えました。
 特養の入所手続をしておいて、待機している間は老健に一時入所しては、という選択肢もケアマネジャーから提案されました。しかし父は認知症も身体機能低下も進んでおり、機能回復を目的とする老健ではなかなか受け入れてくれるところがありません。あったとしてもやはり数か月待ちだったり、遠方だったりと条件が合いませんでした。

施設不足の背景

 わが国では高齢化が急速に進んだので特養などの施設が足りないのはやむを得ないとも思えます。しかし、国の政策の問題も指摘されています。特養という施設が誕生したのは昭和三十八年でした、それから高齢者の増加に合わせて介護施設を計画的に増加させていけば良かったのですが、わが国では高齢者介護を施設でなく病院に担わせてきた歴史があります。昭和三十六年に国民皆保険、そして昭和四十八年から高齢者医療費無料化が開始されました。病院が増え、入院定員にもゆとりがあったので、入院治療の必要がない高齢者でも介護を目的に長期入院をさせてもらえたのです。高度成長のさなか、核家族化が進んで家族の介護力が弱くなった分、無料で長期に入院できる病院が高齢者の介護を支えていました。
 ところが低成長期に入り高齢者も増加して医療の財源が不足し始めました。そして昭和五十年代半ばには介護を目的とした入院の是正や高齢者医療費の有料化が進められたのです。方向としては間違っていなかったのですが、「受け皿」となる施設や条件が整わないまま病院から退院させられる要介護高齢者が増加しました。政府は自宅で介護サービスを受けながら家族が介護する「居宅介護」の充実を図りつつ施設も順次整備する方針とし、介護サービスの計画的な増加や、財源の安定を目指す介護保険制度の導入などを進めました。しかし特養への需要は衰えることなく、今なおその不足は解消されていません。

介護の現実を眺めて

 そうした日本の高齢者介護の事情を研究してきた私は、やがてそれが親の介護問題として自分自身に降りかかることを覚悟していました。そして当事者になって施設が足りない現実に直面しました。でもなんとか方針を見つけようと努力してくれるケアマネジャー、私たち家族の希望に沿って受け入れの可能性を模索してくれる施設の相談員、「退院」を迫られた父を二十四時間丁寧に介護してくれる病院看護師。父の行き先探しに悩みつつも、そんな人々の姿は私にとって頼もしく、ある意味興味深くもありました。

前の記事 介護・健康コラム 次の記事