親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その一
親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その一
母親の異変 認知症の発症
もう十数年も前のこと、母の行動がおかしいことに妻が気付きました。同じものを繰り返し買い物をする、収納庫にはマヨネーズばかり10本以上が並ぶ、それを指摘すれば別の所に隠すようになる、さらに注意するといままでになかったような感情的な怒り方をする、また探し物がなかなか見つからない、食事には同じメニューが何日も繰り返される、今まで笑顔だったのが急に沈み込み涙を流す、同じ話を何度も繰り返すなどなど、そう典型的な認知症の症状です。
家庭を省みない夫への不満
ほとんど家にはおらず、家庭のことは妻に任せきりだった私には妻から母の状態を聞いても「誰でもあることじゃないか」と他人事のような感じで全然事態の重大さを認識していませんでした。妻は仕事をしながら、母がする炊事以外の家事、子育てなどをしていました。しかし家庭を顧みない夫には相当の不満を抱いていたようでした。そんな中で母の「異常な行動」がはじまりそのフォロー、さらには母との衝突が続くようになりました。一言注意しただけでもその100倍以上になって反撃が返ってきます。妻は精神的に疲弊しうつ状態に。けれども夫の私は大したこととは思わず、今までと変わらず無関心。妻はさらに深い闇に。妻は藁にもすがる思いで仕事が休みの日は電話相談、役所の相談センターなどで今の苦境を脱する道を模索しました。やがて役所の保健婦さんが親身になって相談にのってくれるようになりました。そこで紹介されたのが東三河で認知症では定評のある病院でした。当時まだ事態の深刻さを理解していなかった私は、妻からそのことを聞いても消極的でしたが、妻に懇願され一緒にその病院に相談に行くことになりました。
医師の話を聞き、はじめて気付く深刻さ
病院では妻が母の状態について伝え、それを聞いた医師からはおそらく「認知症でしょう、ご家族の方は大変でしたね」という言葉からはじまり、認知症の人がいる家族の大変さの説明がありました。私ははじめて事態の深刻さを知り、妻への苦労に目を向けようとしてこなかったことを申し訳ないと思いました。
その後、何はともあれ本人を診てみないと話しにならないことから母を病院に連れてくることになり、その際、母にどう言って病院に連れてくるのかのアドバイスも医師からいただきました。自覚のない母に「認知症の検査」と本当のことを言っても逆に怒リ出すだけです。
母がアルツハイマー 「認めたくない」
何とか母を車に乗せ病院へ。もともと病院嫌いの母は待合室でも落ち着かず「どこも悪くないで帰る」と何度も繰り返し、やがて順番が来て診察室へ。問診による検査、MRIなどの結果、やはり認知症のアルツハイマーという診察でした。かろうじて65才は過ぎていたので若年性ではないものの早い発症とのことでした。正直ショックだった、「まさか自分の母親が」という気持ちがありました。「認めたくない」。