親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その十一
親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その十一
『普通』に見えるのに
アルツハイマーと診断されたからといって、四六時中トンチンカンなことを言っているわけでもありません。入院当時、母は自分で歩け、名前を聞かれれば答えられ、普段接している人のことも覚えており、甘いものは喜んで食べるなど食事も普通にできるので、会った人がすぐに認知症とわかることはほとんどなかったと思います。だから近所の方が見舞いに来てくださっても「何でここにいるのか」と思っても無理もないことだと思います。一緒に暮らし異常な行動に接してきて、また萎縮する脳の断面図を見た私でも、見舞いに行って母の元気で『普通な姿』を見るていると病院にいることを不思議に感じてしまうことがあるほどです。
近所の方から「出してやっておくれん」と言われたのは一度きりのことでした。
できる限り楽しい思い出を
見舞いは週1回程度通い、時には当時まだ小学生だった子どもたち(母にとっては孫たち)を連れて行きました。母が孫たちのことをできる限り覚えていられるように、また子どもたちも祖母のことを忘れないように、子どもたちを誘いできる限り一緒に見舞いに行きました。母には生まれたときから面倒を見てもらってきたので孫に会えるのをとても喜んでいました。「何年生になっただん? 今家では何やっとるだん?」と小学校、家庭などのことを母は嬉しそうに聞いていました。桜の季節には、許可を得て病棟外の庭で持参した手作りのお弁当を一緒に食べたこともありました。
「おばあちゃんが作ってくれた」
母が入院し離れて暮らようになり、時折子どもたちから母の話を聞くことがあります。フライパンでさつまいもをおやつに焼いた時「おばあちゃんがストーブの上でよく作ってくれた」と思い出したり、テレビで『リンゴの唄』が流れると「よくおばあちゃんが歌ってた」と「赤いリンゴに…」と母から聞いて覚えた歌詞を口ずさんだり、また母が編んでくれたセーターや縫ってくれた着物のことを話したりなど私の知らないことや私自身が懐かしく思うことなどがよくあります。子どもたちの心にはずっと母は『一緒にいる』のだと思います。