親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その二十
親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その二十
消化器官さえも働かなくなり
医師からは今後の見通しと治療法とともに現在の母の状態の説明がありました。胃ろうは漏れがひどく続けるのは困難なこと、それはおそらく胃などの消化器官が充分に機能していないことから起こっているだろうこと、その原因として考えられることは脳の萎縮がすすみ無意識にする体温調節などの自律神経のように、栄養物が入ると自然に機能する消化作用さえもできなくなってきて、漏れ出すのではないかということでした。
食欲は生まれ持っているものと私は思っていましたが、母はアルツハイマーによって「食べたい」という感覚を奪われました。そのため胃ろうという人工的に補給する措置をすることになり、しばらくの間、私は『生きるとは』『命とは』と自問していました。今回は一瞬その時のことを思い出しましたが、私なりに学び、私なりの基本的な考えはあったので悩むことはありませんでした。
正常な脳の半分くらい
脳の萎縮はかなりすすんでいるようで、医師からはCTでみる限り、正常な脳の半分くらいの重さではないか、特に海馬はおそらく通常の1%くらいしかないだろうと伝えられました。さらに「このような例はかなり稀です。おそらくこの病棟でも一番、萎縮がすすんでいるのではないでしょうか」とも言われました。私にとっては驚きでした。決して悲しいわけでなく、辛いでも、また不快なわけでなく、なぜかその言葉が私の心に残りました。実は十数年前、母の『異常な行動』に悩み、苦しんでいた妻がいろいろな機関に相談した結果、行政の方から紹介を受けたのが、今回、再び担当になった医師でした。外来からはじまり入院後もしばらく担当をしていただきましたが途中変わり、今回、再びお世話になることになり不思議なご縁を感じていました。紹介を受けたころからアルツハイマーをはじめとする認知症の著名な専門医で、症例も多く診られ、講演などもされていました。そのような医師から「稀」という言葉が出たことで、私は母の『生命力』のようなものを感じていたのだと病院を出てから思いました。
母からの無言の問いかけ
現在の担当医に巡り会い、アルツハイマーと診断され15年以上、入院し寝たきりになり10年以上、さらに胃ろうになり10年弱が経ち、脳が人の半分になっても母が生きていることに逞しさを感じました。母から「生き続けていることの意味」を私に問いかけられているように思います。母の思いは何か、私が学ぶことは何か、私なりに考えるのでした。